横浜写真と呼ばれた明治期の大判手彩色写真で、鶏卵紙の写真に着色されています。 "A177 HOTARU TEA HOUSE AT NAGASAKI."。旧長崎街道から長崎に入る玄関口にあたる一の瀬口の風景。 石橋は唐大通事の陳道隆(日本名・潁川藤左衛門)が私財を投じ中島川上流本河内の渓流に架けた一の瀬橋で、親柱に"ICHINOSEBASHI”と刻まれた銘板は明治20年頃の架け替え時のものとのこと。写真右手の建物が蛍茶屋。蛍の名所だったことからこの名前で呼ばれるようになったようです。 長崎大学古写真データベースによれば撮影者未詳。 海外に持ち帰られた後に里帰りしました。26cm×20cm。状態:経年による軽い変色があります。画像上で判らない瑕疵があった場合は返品に応じます。