初版第一刷 歌舞伎と落語、江戸文字『勘亭流字典』竹柴蟹助 1983※勲六等旭日章 重要無形文化財 小売業者 吉川英治文化賞 寄席文字 大衆芸能秘史

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昭和58年(1983)、グラフィック社から出版された竹柴蟹助著の『勘亭流字典』(初版第一刷)である。勘亭流の至宝字を書き続けて六十余年、その第一人者の爛熟期に集大成された作品である。なお、本書絶版後に再構成された出版された、日向数夫の『伝統書体字典』は本書の新装版と宣伝されたが、やはり本家本元の本書のの方が、勘亭流魂の意味と意義がよく伝わってくる。【勘亭流の概略】勘亭流とは、江戸時代に通行した、御家流の一つでおもに歌舞伎の看板に用いた。なお、看板以外にも絵本番付(プログラム)や正本(脚本・台本)などにも使われている。起筆と終筆に特徴をもたせ、筆線が肉太く丸みのある文字で、隙間なく内へ丸く曲げるように書く。内へ丸く曲げるのは、観客が入るという縁起担ぎで寄席文字にも相通じる。祝事書体で勘六は、号を勘亭といいそこから勘亭流派が生まれた。江戸中期の書家で手習師匠・岡崎屋勘六が、安永八年(1779)中村座の春狂言の名題「御摂年々曾我」を書いたのが始まり。その後、上方にも伝わる。名随筆『一話一言』補遺には「中村座は仕切場勘六俳名勘亭と云世に勘亭流と称す」と綴られている。【竹柴蟹助(たけしば・かにすけ)と歌舞伎・落語】東京出身の竹柴蟹助(1904~89年8月4日)は、近世を代表する歌舞伎作者である。本名は古賀義一。日露戦争が開戦した明治37年12月28日に、旧・東京府二長町(現・台東区台東)に生まれた。かの漱石は「文は人なり」と言ったが、私は「文字は魂なり」と思う。世に言う三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)はもとより、それに続く小野道風。『平家納経』の平清盛、『立正安国論』の日蓮。その日蓮の熱狂的な崇拝者の幕末・吉田松陰は悪筆で有名だが、その一言半句の文字にさえ、改革者として雄叫びを感じる。「三つ子の魂百まで」という諺は、再来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部の言葉である。三つ子の純粋無垢さは、時代をいくら隔てても決して変わらない。それこそ文字には、古代エジプトの象形文字や甲骨文字、ルーン文字とも同じ人間の魂の絆を、私は強く感じる・・・。さて、歌舞伎は江戸中期以後、市川団十郎・尾上菊五郎ら多数の名優出現とともに発展した。その隆盛の要因には、名作浄瑠璃とハデな舞踊、長唄や常磐津、清元などの邦楽を取入れた演出もポイントだ。そうした豪華な総合芸術だからこそ、のちに多くの富裕層の娯楽となった歌舞伎は、飢饉等の諸問題から幕政改革をする際には、風紀や質素倹約で取締対象となった。一方、寄席の芝居噺(落語)は、明治以降も庶民の娯楽として人気を博した。そうした時代背景の仲で、芝居好きだった家族の影響もあり、義一も落語芝居噺に夢中になっていった。ただし、寄席では、大石内蔵助が「大星由良之助」、吉良上野介は「塩冶判官」などと脚色された。また、例えば『四段目』の主人公・定吉は丁稚小僧で、仕事の使いのついでに、歌舞伎を立ち見してくる性分。その物語には、落語ならではのオチがついておもしろい!義一少年は、一度、歌舞伎の凄さを知ると、彼は歌舞伎の世界に魅了された。第一次大戦中、13歳の彼は歌舞伎座の作者部屋狂言師・竹柴晋吉の門に入り見習いとなった。大正8年(1919)、七世の市川中車より、中車の家紋「蟹牡丹」にちなんで竹柴蟹助となる。蟹助は木下藤吉郎が信長に仕えた如く、師匠のために気働きし、同14年(1925)、歌舞伎座(東京)新築興行座付狂言作者に抜擢さふれた。中村歌右衛門の世話をするうちに 、 年々歳々の目標が明確となった。昭和16年(1941)末からの太平洋戦争は、一切の大衆芸能に大きなブレーキをかけた。文字本来の文化は、科学や文化を繁栄させる知恵を運ぶ道具である。なればこそ古代から、悲惨な戦争、愚かな人間の本質が記録された。当時、三十代後半の座付作者が、戦地へ行ったかどうかは記録にない。昭和20年5月の東京空襲で、歌舞伎の殿堂は焼け落ちた。よからんは不思議、悪からんは一定と受け止めるべきか。竹柴蟹助は、勘亭流はもとより江戸文字の篭字や髭文字、相撲文字。楷書や行書、草書や隷書、篆書やや行草、三体や五体など一切諸字を研鑽し尽くしている。戦後はしばし割愛する。時は流れて、ベトナム戦争が泥沼化した昭和41年(1966)11月1日、東京・千代田区三宅坂の国立劇場開場が落成した。竹柴蟹助は、国立劇場から招聘され芸能部主査(課長)に任じられた。敗戦の年の歌舞伎座焼失から30年後、昭和50年勲六等旭日単光章受章。翌51年、重要無形文化財(歌舞伎)保持者に認定される。同58年、本書『勘亭流字典』をを初出版し、さらに『勘亭流教本』や『歌舞伎勘亭流』などの著作で、彼の歌舞伎界における多大な功績が、同62年吉川英治文化賞を受賞した。最後に、上記のような勘亭流第一人者の竹柴蟹助は、晩年を神奈川県相模大野の公団住宅で慎ましい生活をしていた。彼は、この上ない愛書家であり、江戸文字や歌舞伎などの研究家であった。財産はそれら古文書や正本、ビラなどの史料だけ。戦争の渦中も、勘亭流を極めることがおのが使命と決めた。その道に一所懸命に生きた稀有な大家であった。【目 次】・巻頭口絵写真①(勘亭流を揮毫する著者、竹柴蟹助)・巻頭口絵写真②(・国立劇場「心謎解色糸」ポスター・東京京橋「江戸歌舞伎発祥の地碑」・東京浅草「猿若町碑」・東京浅草「清光寺額」・黙阿弥筆「場割役人帳」・黙阿弥作「網模様燈篭桐」三幕の正本上表下表・時代世話劇種本「曽我会稽山」歌舞伎新報社・明治十四年表紙)● 序 文 歌舞伎俳優・芸術院会員 片岡仁左衛門●「勘亭流字典刊行にあたりて」 竹柴蟹助●「勘亭流とその時代」(勘亭流教本より)日向数夫●「勘亭流の筆法」・基本運筆●「漢字部首とひらがなの筆法」※「へん」や「つくり」、「かんむり」や「さんずい」「りっとう」や「がんだれ」、「くにがまえ」や「しんにゅう」など部首を書く極意を会得するための項目。●「常用漢字」※社会生活をする上で、特に頻度の高い漢字を、歌舞伎の視点を軸に必要欠なものが所収されている。●「人名用漢字」※人名は、多様されているものと珍しいものが大別できる。よく自らの名前は上手く書けても、他人様の字は上手く書けないだけに大切だ。●「常用外多用漢字」※マニアックな漢字も多くハイレベルな章である。●「ひらがな・カタカナ」※基本中の基本の「ひらがな」と「カタカナ」をマスターするとレパートリーがグーンと広がる。●索引 ※歌舞伎や寄席(落語・講談、他)の文字、その歴史と現代に興味を持つ人には「鬼に金棒」となる。本書、所収文字数は「2万字」以上もあり、実に凝縮された第一級資料と、私は太鼓版が押せる。【本書の凄さを教えてくれた順平さんの事】最後に、この本に出会あわせてくれた、ハマ音落語愛好会のT・順平さんについて、少々話たい。私にとってては兄のような存在であり大恩人であった。順平さんは市役所建築課の一級建築師で、建物が違法建築でないかを点検する係ををしていた。いくも大きな手提げ袋を持って、あちこちの落語会や寄席を徘徊していた。週末には上野の橘流寄席文字教室へ通っていた。順平さんのおかげで「橘流寄席文字」「集古庵」「橘右近」「橘左近」「千社札」「古今亭志ん八(右朝)」などなど数多くのことを丁寧に教えて頂いた。落語家の立川談志が言っていたが、「いいモノってのは、その道に精通した兄貴分に教わるのが一番いいんだ。よく急所を押さえているから、ツボを外さない。だが、最近はそういう兄貴分を持つ若者は少ないよな・・・」その点、順平さんは寄席文字教室ことをはじめ、落語 や講談、色物までの知識に長じていた。。最初は『寄席 文字字典』を熱ほぽく語り、「とうとう『勘亭流字典』まで買ってしまった。」でもね、落語と歌舞伎は、意外に近い仲なんですよ。あの若き美濃部強次(のちの古今亭志ん朝)は、中村吉右衛門(二代目)の『俊寛』を見て、一時期、歌舞伎役者に憧れた話は有名です。そのワンクッションの名歌舞伎があったればこそ、落語家として大成したんじゃないかな・・・」と、と、頭をポリポりリ掻いていた姿が私は忘れられない。会いたいなあ~!【本の状態と発送について】本の状態は「美本」だが、カバー見返しに5ミリ程度の微小シミを一カ所発見した。だが、状態の悪いものが多い古書店ものとは、あきらかに違う個人所蔵の最高本である。送料はヤマト宅急便、もしくはゆうパックで発送し、当方が負担いたします。

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